
ルイは鷹を呼ぶ
一次創作サークル
~落語「こぼれ話」~
不問 上演時間:15分 作者:白鷹
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花も咲きこぼれるいい季節になりましたね。
元号は文化。東海道五十三次、岡崎宿と池鯉鮒宿との境付近に幕府公認の遊郭がございました。
名を、若山遊郭と申します。女が金で夢を売り、その夢を男が買う町、それは偽りの恋の町でございます。
さてさて、その若山遊郭の大門をくぐって伝助という男が袖をふりふり、
鼻歌などを歌いながら大通りの仲ノ町を歩いています。
すると、表通りに面した茶屋で茶を啜っていた男が声をかけました。
伊左衛門「なんでぇ、伝助。鼻歌なんざ歌いやがって、えらくご機嫌だなぁ、おい」
伝助「伊左衛門先生じゃありませんか。先日はかかぁの腰痛見て下さってありがとうございますよ」
伊左衛門「あぁ、よくなったかい? 奥さんは」
伝助「そりゃあ元の威勢を取り戻しまして、まぁうるさいのなんの」
伊左衛門「まぁまぁ、奥さんが治ったならよかった。私も町医者として薬出して良かったですよ」
伝助「なんですかい? あの薬にゃかかぁを猛獣に変えちまうような薬でも入っていたんですかい?」
伊左衛門「猛獣って、そんな薬は入ってやしねぇよ。なんでそう思うんだ?」
伝助「いやねぇ、洗濯物を干してないっちゃあ、キンキン耳元で小言を言うわ、
今度は取り込んでないってねちねち説教垂れるわ。玄関を掃き出しておけと言ったのに砂だらけだの、
家じゅう埃っぽくて汚いだの色々と小言がうるせぇんですわ。
てめぇは何やってんだっつったら近所から頼まれた繕い物してるから手が離せないんだっちゅうじゃないかい。
そんなもん俺だって同心として働いて微々たる賃金だが金収めてんのに、ここんとこ喧嘩ばかりですわ。
そんで気晴らしに、ちょいとね、こう、賽の目を振ったら思わぬ当たりが出ましてねぇ。
そんで、まぁかかぁに奪われる前に、ここに逃げてきたってわけさぁ」
伊左衛門「なるほどねぇ。そりゃ薬のせいじゃなくて元来の奥さんの性格だろうなぁ」
伝助「結婚前は、旦那の後ろ三歩を歩いて、
あっしの言うこたぁ、はいはいと二つ返事で聞くいい女だったというのによ」
伊左衛門「いい女じゃねぇかい、今時そんな女いねぇぜ?」
伝助「それが子供産んで早十年、赤ん坊に乳やらにゃあならんと乳ほっぽり出して縁側でごろごろしやがってよぉ」
伊左衛門「それでいい女を求めて遊郭に来たってわけですかい」
伝助「山姥の様になっちまったかかぁじゃあ、俺の息子はおびえ切っちまうだけなんでさ」
伊左衛門「そんじゃあ、お前さん遊郭遊びは初めてかい」
伝助「えぇそりゃもう、この十年浮気もしないでかかぁ一筋。色んな女の誘惑にも負けずに頑張ってきたんですわ」
伊左衛門「まぁまぁたまの遊郭遊び、ここは男にとっちゃ夢の町ですぜ。
あぶく銭が入ったってなら遊ばにゃ損々。どれ、私が遊郭のいろはを教えてあげましょうかね」
伝助「ほほぅ、先生は病気だけでなく遊郭のことも詳しいんですねぇ」
伊左衛門「そりゃあ、この若山遊郭私にとっちゃ庭みたいなもんで、知らねぇこたぁありゃしませんぜ」
伝助「そりゃあ心強い」
伊左衛門「ところで、伝助、お前ぇさんどこの見世に行くかもう決めてあんのけぇ」
伝助「何言ってるんですか先生、あっしゃつい今しがた大門をくぐってきたばかりで右も左も判りゃしませんよ」
伊左衛門「ふむふむ、んじゃあどの位遊ぶ積もりで」
伝助「そうさなぁ……、ちなみに先生、花魁ってのはどのくらいで買えるんでしょうねぇ。せっかく遊郭に来たならしっかり遊んで帰ろうと思いましてね」
伊左衛門「おぉ、花魁?! 花魁を買おうってんですかい?! ……ちなみに伝助。サイコロでどの位儲けたんだい」
伝助「デカい声じゃ言えませんがね……、今あっしの財布には十七両入ってますんで。どんな女もいちころでさぁ」
伊左衛門「あ~、あ~……、あぁ……、ね。うん、まぁ、伝助、悪いこた言わない。花魁は諦めた方がいい」
伝助「えぇっ! 花魁てのはそんなに高けぇんですかい」
伊左衛門「まずな、伝助。
遊郭には大見世、中見世、小見世、切見世ってぇ分類がある。花魁は大見世にしかいねぇんだ」
伝助「大中小切(だいちゅうしょうきり)っちゃあ、見世の規模ですかい」
伊左衛門「規模も違えば女も違う。見世の待遇も、建物の造りも違う。当然挙げ代も違う。
更に大見世には独自のしきたりがあって、買いました、お褥に参りましょうって訳にゃ行かねぇのさ」
伝助「ほぅ……、じゃあどうやったら花魁が買えるんで?」
伊左衛門「まず買いたい花魁が決まったら差し紙ってぇ手紙を書くのよ。
そんで引手茶屋っつう茶屋に行って、それを出す。
そしたら引手茶屋が目当ての花魁のいる楼閣の遣り手婆に伝える。
そんで花魁がうんと言えば初会っつって一度目の座敷で会えるって算段さ」
伝助「なんでぇ、独自のしきたりっつうからもっと面倒臭せぇかと思ったら手紙出すだけじゃねぇか。
そんならあっしだってさらさらっとあんたに会いてぇって手紙を書きゃいいだけさ」
伊左衛門「判っちゃいねぇなぁ伝助は。一度目って言ったろ?
花魁は三度のしきたりって言って、一度目の初会、二度目の裏と互いに口も利かない座敷を開いて、
三度目に花魁がいいと言ってくれたら初めて枕固めが出来るんだ」
伝助「ってことは? 時間も金も三倍かかるってことか? そもそも花魁ってのは一回いくらなんでぇ」
伊左衛門「昼三分、夜一両二分よ。あぁ、それなら買えると思っちゃあならないぜ、伝助。
初会にゃ花魁道中を踏ませにゃならねぇ、座敷に上がったら祝儀もいる、二階(にかい)花(ばな)に料理、
酒、太鼓持ち、内芸にも賃金がいる。ざっと計算して一回百両は飛ぶ、それを三度だ」
伝助「ひゃ、ひゃ、百両だってぇ?! あぁ、花魁様はやめだやめだぁ! 所詮町方同心にゃ高嶺の花よ。
そんで? 中見世ってのはどんなんだい?」
伊左衛門「中見世ならまぁまぁ伝助でも手が届くんじゃねぇか?
三度のしきたりもねぇし格子眺めて誘ってきた女の煙管を受け取って吸えばそれで交渉成立、
見世に登楼できる。挙げ代も夜三分ってとこだろう」
伝助「ほうほう。なんだ?祝儀やら二階花やらはいるのけぇ?」
伊左衛門「そりゃ楼閣は金をばらまくところだからなぁ、
中見世は大見世のしきたりが少々柔らかくなった程度だから、遊女の誇りや矜持はそこそこに高い。
祝儀や床花は包まないと二度目は遊んじゃくれねぇわな。
祝儀は挙げ代の二倍、床花は挙げ代の三倍だ。
看板つってその楼閣の一番人気の遊女はもう少し上乗せした方がいいだろうな」
伝助「三分の六倍で二両二分かぁ……。それに酒代、飯代ってとこだな。
んじゃま、どうせ一回こっきりだし中見世にしとくか。
ちなみにちょいと興味あるんで聞いてみるんだが、小見世切見世ってのはどんなんだい?」
伊左衛門「小見世はまぁ、一応楼閣として建ってはいるがいい女がいるかどうかって聞かれりゃ首をひねらぁな。
顔がいいのはまず大見世に売られ、
大見世では通用しないか売れなかったかくらいの女が中見世に行くからよ、そこそこいい女が揃ってる」
伝助「中見世にも売られなかった娘が小見世に行くってことかい」
伊左衛門「伝助ちょいとあっちの通路を見てみろ?」
伝助「おぉ、おぉ随分煌びやかな着物が目立っちゃいるが、あれだな、格子の隙間が細くて余り見えねぇな」
伊左衛門「あの格子は総籬(そうまがき)ってんだ。高級な妓は簡単に女を見せちゃくれねぇ。
中見世も桜山町にあるような楼閣はあの細い格子が使われてる。中にはとんでもねぇ美女もいるって話だ」
伝助「いやいや、桜山町は見て回るが買うのはちょいと考えるわ。
座敷だ内芸だ太鼓持ちだなんて言われちゃ金が足りねぇ」
伊左衛門「中見世でも通りを向こうに行った伏見町の中見世はちょいと女の見目が下がる。半籬って言われてな、格子の四分の一があけすけで女もよく見える」
伝助「あっちを見ても綺羅をまとった天女、こっちを見ても見目麗しい女がわんさかといる。ここは天国だなぁ……」
伊左衛門「おいおいちゃんと聞けよ伝助。この格子の形も中見世小見世を分ける大事な見所なんだ」
伝助「あぁ、ちゃんと聞いてるぜ。半籬とやらにいる女も十分きれいじゃねぇか。
おっほーーぅ! 見ましたか先生! 今あっちの女あっしに向けて熱い視線を送ってきましたぜ」
伊左衛門「女は通りすがりの男全部に熱い視線を送るもんだって。それが商売なんだからよ。
いいかい伝助、女が熱い視線を送ったのは伝助の懐に入ってる財布に向かってだぜ。
それを忘れちゃいけねぇ」
伝助「チッ、財布かよ……、全く期待させんじゃねぇや。んで? 中見世はまぁわかりやした。
小見世ってのは要するに町娘にちょいと愛嬌乗せた感じってことですかい」
伊左衛門「うまいこと言うじゃねぇか。まぁ、そんな感じだ。
とはいえギリギリ中見世にゃ届かない、下手を打てば切見世のピンからキリまでいるから、
そこんとこも考えて見て回るといい。
値段も手頃で、まぁそこそこ悪くない環境で遊べるし、
何より総半籬(そうはんまがき)でしっかり顔が見られるってのも小見世のいい所だな」
伝助「するってぇと……、切見世ってのは?
聞くのは恐ろしいが小見世にもいられないなんてそんな酷い女がいるんで?」
伊左衛門「切見世は切局や河岸見世とも言われるが、別の名を鉄砲女郎とも言うんだよなぁ」
伝助「て、て、て……、鉄砲だって?! 江戸のお膝元じゃ所持を禁止されているじゃないっすか。
なんで女郎がそんなもん持ってやがんでぇ?!
だいだいそんな物持ってどうするってんだい。
気に入らねぇ客が来たら額をパーンと一撃ち、財布ごと命も取られるってぇわけですかい?
恐ろしい恐ろしい」
伊左衛門「お前ぇさんは比喩って言葉を知らねぇのかい」
伝助「鉄砲が、比喩?」
伊左衛門「小見世や中見世の女たちは、昼に一人夜に一人と取る客は決まってる。無論大見世もだがな。
だがな切見世の女たちは時間を切り売りすんのよ。あぁ、線香女郎ともいうなぁ」
伝助「線香女郎……、仏壇に供えるあれですかい? まさか仏にさせられて線香上げるってくだりじゃあ……」
伊左衛門「ばかばかばか、だから比喩だっつってるだろう」
伝助「鉄砲に線香が比喩ねぇ? どんな女のことやら」
伊左衛門「線香一本燃えるまでが一ト切(ひときれ)、それが大体百文ってぇとこだ。
一人の客を線香一本で追い出したら次の客と一日に何人もの男の相手をする。
そうすると望んでもねぇお客さんが来ちまうんだよ」
伝助「望んでない客? そんなものは振っちまえばいいだろうが。そんで鉄砲でパーンかい?」
伊左衛門「なんでも真面目に受け取るやつだなあ、お前ぇさんはよ。
ひとまず、鉄砲は本物の鉄砲じゃねぇ、梅毒だよ。
あぁ痩毒ともいうな、鳥屋(とや)が付いたなんて言うこともあるらしい」
伝助「ば、ばば、ばばば、梅毒ぅ?! そりゃいくら安くったってあっしだって御免でさぁ」
伊左衛門「とはいえ必ずしも全員が梅毒って訳でもなくてな、
そこまで広がっている訳でもないらしいというのが最近になって判ってきたのよ」
伝助「けどよ先生、梅毒持ってる女を見極めるなんてできゃしねぇだろう?
余程末期症状で顔に疱瘡(ほうそう)でも出来たってんなら判るけどよ」
伊左衛門「それが鉄砲女郎の名前の由来よ。梅毒かそうでないか、当たるか当たらぬかやってみるかい? ってな」
伝助「冗談にしてもそんな度肝抜く様なこと言われて切見世に行ったりはしやしませんて。
そんな病気持って帰ったらかかぁに家追い出されちまわぁ」
伊左衛門「以外に小心者だなぁ。よくそんなんでサイコロ勝てたと感心するぜ。
まぁ、お歯黒溝周辺の見世は基本行かない方がいい」
伝助「安かろう悪かろうじゃあぶく銭ってったって出すきにゃなれねぇな」
伊左衛門「それに切見世は訳ありの女が多い」
伝助「鉄砲に線香ときたらなんですかい? 墓石でも建てるってんですかい?
墓石、墓石……、あぁ、穴のない石女(うまずめ)ってこともあるな」
伊左衛門「お前ぇさんもいうようになったじゃねぇかい。
あぁ、まぁ小見世でも受け入れられなかったって言やあ判るってなもんさ」
伝助「なるほど、ちょいと醜女と、とんでもない醜女の巣窟って訳ですかい」
伊左衛門「それに、元の見世の秩序を乱して追放されたもの、
一度は年季が明けて大門から出たものの行先がなくて戻ってきちまった年増、
それに顔に怪我をして元の見世にいられなくなった者。
まぁまぁ手の付けられない厄介者ぞろいってこったな」
伝助「懐が温い内はお世話になることねぇが、聞いておくもんだな。しかし、本当に先生は詳しいな。
あぁ、そういう先生はどこの見世をひいきにしていらっしゃるんで?」
伊左衛門「え? あたしですかい? あたしは」
伝助「先生のことだからきっと大見世の花魁様を片手に抱いて、
座敷でぱぁっと金銀小判を振りまいているんでしょうなぁ」
伊左衛門「いやいや、そんなそんな、小判を振りまくなんて大店主のお大尽じゃあるまいし、さすがにそれは」
伝助「そんで、花魁様はどちらの? あぁ、花魁道中は踏ませたんですかい?
見たかったなぁ……。今日はどっかの見世が踏ませたりはしないんですかねぇ。
遊郭っつったら花魁道中を見ずに帰るなんざ勿体ねぇこたしたくねぇんですよ」
伊左衛門「暮六ツになって運が良けりゃあ花魁道中は見られるだろうがねぇ」
伝助「先生が花魁様を呼び出してくれりゃ、もしかして見られるということじゃねぇですかい?」
***伊左衛門が居座っていた茶屋の亭主が登場***
亭主「何たわけたこと抜かしてやがんでぇ。町医者のちっぽけな稼ぎで大見世通いが出来ると思ってんですかい?」
伊左衛門「て、て、て、亭主。しーっ、しーっ!」
亭主「まぁ、人の茶屋の椅子に長々と腰かけて、あっちの見世がどうのこっちの見世がどうの、
よくもそんな雄弁に語るもんですなぁ? 伊左衛門先生?」
伝助「おぉ、亭主。伊左衛門先生と親しいんで?」
亭主「えぇ、親しいですとも。ねぇ先生」
伊左衛門「いやまぁ、その」
亭主「ところであんた、なんつったかい」
伝助「町同心の伝助でさぁ」
亭主「伝助さん、客のつかなかった遊女が何て言うか知ってますかい?」
伝助「客のつかなかった遊女。つまり夜になっても格子の中でぽつんと座ってるってこってすかい?」
亭主「そうそう、そういうあぶれた遊女はお茶っ挽きって言いましてねぇ」
伝助「お茶引き女郎、なるほど」
亭主「女郎がお茶挽きなら、先生は茶飲みジジイってとこですかね」
伊左衛門「あぁ、まぁ亭主。茶を急須にもう一杯おくれでないかい?」
亭主「うちの店先で長々と茶を飲んで、
暮六ツになれば格子の前で袖に手をすっこめて眺めるばかりの素見野郎ですよ」
伝助「ほ? 素見? 先生が? えらく詳しいのに素見ですかい?」
伊左衛門「いやいやいや、ほら、遊女ってのは一度敵娼を決めたら浮気は赦さねぇって話ですからね。
まぁまぁ、いまだに誰にするか悩んでるというか、ほらあの、ね。亭主、茶のお代わりを」
伝助「ははぁ……、さすが粋人と思って話を聞いてみりゃあ、法螺話だったってことですかい」
伊左衛門「いやいや、あたしの話は法螺じゃあないですよ。ぶらぶらと遊郭を歩いて仕入れた確かな情報ですからね」
亭主「そういうのを女郎達は与太郎やら格子に張り付く油虫とかってせせら笑ってんですよ」
伝助「与太郎に……、油虫ねぇ」
伊左衛門「いやいや、あたしの話はいいんですよ。亭主茶のお代わりを、と」
亭主「茶の一杯二杯でこんなに長く居座られたんじゃ堪ったもんじゃねぇんですわ! とっとと帰りやがれ!」
伊左衛門「あぁああ!! そんな乱暴にしたら茶が零れちまいますよ!」
かかぁの愚痴も零れりゃお茶も零れる、はたまた花魁の美しさも咲きこぼれる。
そんなこぼれ話でございました。
お後もよろしいようで。